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中村文則『何もかも憂鬱な夜に』

施設で育った刑務官の「僕」は、十八歳のときに強姦目的で女性とその夫を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している――。どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。
はじめての中村文則。本屋で『教団X』の厚みに怯み、もう少し薄いものを…と手に取られたのが『何もかも憂鬱な夜に』だった。もちろん昔から知っていたのだけど、なぜか「私はこれを良いと思わない側の人間だろう」と思っていた。
私が読書に求めることは現実逃避であって、目を逸らしていたい現実の暗い底や隅を執拗に表現するような中村文則の作品は、彼氏が読んでいなければこれから先も読むことはなかっただろうと思う。お前はそのまま知らないふりをするのか、と肩にのしかかって来られたら、私はその手を振り払うことができないから。
※ここからネタバレ注意※
読後にまず思ったのは「私は人を‘たまたま’殺さずに済んでいるだけだ」ということだった。今まで生きてきて、自分でも抑えられないほどの強い衝動を感じたことがない。殺意も性欲も、それで頭がいっぱいになったことがない。意味もなく自暴自棄になったこともないし、無気力になったこともない。それどころか、私はかなり理性的に生きてきて、飲み会で記憶をなくすまで飲むとか、カッときて彼氏に怒鳴り散らかすとか、そういうレベルですらしたことがない。
かといって、プラスの感情が強く働いたこともないわけで、私はそういう理性的すぎることで無意識に損したり我慢したりしてきたんだと思う。甘えるとか羽目を外すとかちゃんと怒るとか泣くとか、もっとしてきたら良かったし、これからできるものならそういうことをする人になりたいとすら思う。自分を殺して生きているとは思ってないけども。
そんな風に理性的に生きている私を、この作品に出てくる彼らはどう思うだろうか。幸せなやつだと憎むだろうか、能天気だと蔑むだろうか。私は殺される側の人間だろうなと思った。
去年の夏に小田急線であった男が乗客を切りつけ10人が怪我をする事件を思い出す。その際に犯人が供述した犯行理由が「幸せそうな女性を殺したかった」だった。その時も、やっぱり私は殺される側の人間だろうなと思った。
私は私を不幸だと思ったことが一度たりともない、幸福な人間な自覚がある。でも、私は私の人生なりに、悩んだり嫌になったり落ち込んだりムカついたりしながら生きてきた。それじゃきっと‘許されない’のだ。
誰かに許してもらわないと幸せになれないのだとしたら、誰も幸せになんてなれないから、せめて私が私を勝手に幸せだと思ったっていいのに、それすら勝手に’許されない‘なんて狂ってる。
妊婦だと分かってぶつかってくる人がいるらしい。いじめられる側にも原因があるらしい。女のくせに生意気らしい。そんな世の中で生きていたら、いつか私だって、この私を包む薄皮みたいなのをピッと切り裂いて、止められないほどの強い衝動で、人を殺してしまうかもしれない。みんな、そんな不安定で不確かな状態で生きているとして、それでも私はその恐怖にやっぱり気づかないフリをして、幸せだと信じていたい。

マシュマロありがとうございます

ノートのデザイン的に、あんまりしっかり書く感じじゃないなと思ってゆる〜く書いています。

5月はこの本しか読めておらず、年内100冊は厳しい予感…。買った本たちを積んでいます…。
今週は、友人と会う機会が多く、アラサー女(!)が集まれば恋愛の話しかしないわけで。27にもなると結婚も現実味を帯びてくるわけで。結婚って彼氏の決断力なんだな……。どれだけ長く付き合っても結婚するとは限らないのよね。逆に付き合って数ヶ月で結婚するカップルもいるし。数年前までは「結婚?30までにはしたいかな」とか悠長なこと言ってたけど、今は「なんかもう今すぐプロポーズしてくれ頼む」って思ってるもんね。切羽詰まってるわけじゃないけど、あとがない気がしちゃうのなんでだろうな。
それでは、今週もぼちぼちいきましょ〜。あっ、もしかしたら角川武蔵野ミュージアムに行けるかもしれなくてワクワク!次回はその話ができたら!
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